優れた教育と云う物は、幼い子供達が最低限、将来。自分の力で食べて行ける様。物事を教える事だと思うんだ。

それにプラスして、良い生活。より豊かな生活。
人生を楽しめる様な物事を教えることだと思うんだ。


例えとして


インドと云う国は、酷い身分社会。差別社会。
カースト制度で生まれた時。将来就ける仕事が決まっている。


その社会の中では、低い身分の人は、どんなに頑張っても
どんなに能力があっても良い生活や良い人生を送る事は、できないんだ。


だから、今までに無い職業。カースト制度に含まれない
IT分野の仕事に就かせる為。インドの教育者の人達は、
幼い生徒達に勉強をさせたと思うんだ。


例え、その社会で身分が低く貧しく生まれたとしても
自ら教育をする幼い子供達が将来。良い生活や良い人生を送って貰う為に


例えとして
フィリピンという国は、
英語教育を推進していたらしい?
その国内の問題もあるらしいのだけれど
その国の部族や民族。言葉が違う。


だから、共通語。そして、将来。幼い子供達が食べて行ける様。
英語の学習に熱心なようだ。


自分があるフィリピンの人に
「英語もスペイン語も母国のフィリピン語。
そして、日本語も喋れてすごいな」って褒めたんだ。


「日本に居れば外国語なんて必要ない」おそらく、気遣って行ってくれたんだ


日本に居れば、日本語さえ喋れれば、日本では楽して生きて行けた。
それを知っていたんだね。

外国から見て日本の教育は遅れているらしい?

ネットのどこかの記事でみたんだ。


ある外国の教育者。

その人が日本に来た。その国の教育を参考にしようと招いたのかな?


数年前。日本の政治家か?教育者?誰かに聞いた「一緒にゴール」

おそらく、その国の人だと思うんだ。


「順位を付ける事は、いじめるにつながる。その要因になる。」

だから、順位を付けない。それがその国の教育方針。


日本の教育者の人は、順位を付ける事で

例え順位が低くとも跳ね返す事も出来る。

その様に答えたらしい?


その話し合った全体の内容は、詳しく判らないのだけれど


教育方針が違うんだよね。


「一緒にゴール」と云う教育方針を取っている国は東欧の国らしい?

その国の思想や社会背景って全体主義。


おそらく、税金は、高いのだけれど

みな平等な生活が送れる様、国が面倒をみるような国なのかな?

少なくとも教育に限っては、その様な国だと思う。


日本とその国では、社会背景が違う。

だから、教育方針も変わってしまう。


各家庭の教育方針が違うようにね?

滑ったり、転んだり、失敗したり。それは恥ずかしい物かもしれない?

でも、自分だったらケガをしなくて良かったと思う。

それも致命的な大きなケガ。


恥ずかしいと思える様な状態なら大きなケガをしていないのだからね?


それは、子供の頃から、転んだり、どこかを擦り剥いたり、

そして、大きなケガをして得て自分が知った事だと思う。


子供は、転んだり、体のどこかを擦り剥いたりし

痛い思いをしながら学ぶ物ってあると思うんだ。


そして、今年の運動会の競技で例え順位が低くとも

その来年には、その順位を巻き返す時間も

たっぷりあるのだよね?

一緒にスタート。一緒にゴール?

それは、ある種目に置いて非常にナンセンスな事柄だと思う。


徒競走での一緒にゴールとかね?


その競技を行う前提として個人の順位を競う物なのだから


そして、共通の課題や問題に対して、運動会で行われる競技において
参加者が同等な結果を求めるのなら
ムカデ競技や2人三脚や100人三脚の競技を行うべきだと思うんだ。


その競技は、難しいのだからね?

それを知る事が出来る。
(参加者の息が合わないと出来ないのから、多くの練習や時間を要する)


そして、その結果に対して、参加者が同じような結果や感想を抱ける。


運動や競技。
自らの体を使って行う行為。
その結果に対しての他人の評価や反応と云う物は厳しい。


良い結果。悪い結果。
成功しても、失敗してしまっても

衆目の目に晒される事になる。


それを子供達は、知らなければならないし
経験しなければならないと思うんだ。

ガチャを収益の主体としているゲームは、やはり面白くはないのだよね?

それは、同一ルールの元。


プレイヤーが競っていないと云う理由。


ゲームという物は、

同一のルールの元。

お互い競いあって。

何かを得る


それが魅力。


その間。

勝ったり、負けたりはあるのだろうけど